今日(2026/02/24)の分の日記、珍しく日付が変わる前にかけています。これも帰りの電車を途中で降りてカフェで書いているからです。カフェでは上品なお茶しかいただいていません。決して下品なメシを食べていたわけではありません。本当に。
日付といえば、私は講師バイトをしていて1日に何度も書類にその日の日付を書いています。
これまであまり気にしてこなかったのですが、私は日付を書くとき、毎回なんども時計を確認しているようです。
日付が記憶できなくて繰り返し確認を続けている
この現象を言い換えると、記憶が3秒ももたない状態であるということです。これはいけません。
問題に気づいたら、あとはその現象を理解し、対処を考えるまでです。
とはいえ、普通に考えて繰り返し日付を見ているのであれば記憶と忘却を繰り返しているのだから覚えやすくなるはずです。これはいろんな分野の人が引用したくてたまらないエビングハウス大先生の超有名な忘却曲線の理屈に則っている理屈です。間違っているわけがないでしょう。
しかし、最近はその忘却曲線も意味のない文字列に関するものだったと話題になっていたので確認してみました。
“Among many thousand combinations there occur scarcely a few that have a meaning and among these there are again only a few whose meaning was realised while they were being memorised.”
数千におよぶ組み合わせの中で、意味をもつものはほとんど存在せず、しかもその中で、記憶されている最中に意味が意識されたものは、さらにごくわずかである。
Ebbinghaus(1913, p. 23). 日本語訳は私のものをChatGPT 5.2 (Thinking) で整えてもらったものです。
どうやら本当のようです。私の脳が日付を意味のある文字列として捉えているかどうかはさておき、あまりこの実験は私のケースに当てはまらなそうですね。
この文献を読んでいると、別の箇所でEbbinghaus(1913)は記憶の再生について次のように述べていることに気づきました。
“Left to itself every mental content gradually loses its capacity for being revived, or at least suffers loss in this regard under the influence of time.”
そのまま放っておけば、どのような心的内容であっても、再び呼び起こされる力を徐々に失っていく。少なくとも、時間の影響のもとで、その力は確実に弱まっていく。
Ebbinghaus(1913, p. 4). 日本語訳は私のものをChatGPT 5.2 (Thinking) で整えてもらったものです。
なるほど、私はその「時間の影響」とやらがはやく来てしまうタイプのようです。
私が時計から目を離した瞬間に日付に関する情報を呼び起こす力が急速に失われているから、「2026年2月24日」という日付を書くためだけに3〜5回も確認する必要があるのですね。
あまり納得がいっていないので、しばらくこれについては考えておきます。
下品なメシ引退録
下品なメシをやめてからあまり経っていないせいか、いまだに離脱症状に苦しんでいます。帰り道徒歩10分で3回ほどコンビニに寄そうになったくらいなので、思ったより重症かもしれません。
しかし、鋼の意志で全てを耐えた私は現在自宅でゆっくりこの日記を書いているところです。
明日も絶対下品なメシの誘惑に負けないよう頑張りたいですね。
再掲:下品メシ概念を提唱した記事
結局今日の日記を書き切る現在、日付も変わって結構深夜というかほぼ朝になってしまっているので、変なところにこだわるのは控えようと思いました。
もう流石に眠すぎるので今日はお休みです。
参考文献
Ebbinghaus, H. (1913). Memory: A Contribution to Experimental Psychology (H. A. Ruger & C. E. Bussenius, Trans.). Teachers College, Columbia University.
Original work published 1885.



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