久しぶりに日記を投稿しています。
特に忙しいわけではないのですが、教育系の記事を書こうと思うと日記がおろそかになってしまいますね。
最近だとコメニウスに関する記事を書いたりしました。

少し頑張ったのでぜひ読んでみてください
デカい衝動のままにインターネットを閲覧 ← 不用物購入の音がする
パソコンを買いました。本当であればそんなに購入するつもりはなかったのですが、深夜のインターネットは恐ろしいですね。つい買ってしまいました。
私のパソコン

画像の通りのパソコンを現在使っています。
正直ほとんど困ってないのですが、購入時のミスで容量が少なめなので「容量が足りないな〜」といった程度の悩みしかありません。
しかしこの頃はAppleの製品発表のせいかパソコン関連機器界隈は常時ザワついています。私もきっとその影響を受けてしまったのでしょう。
最近の自分の気持ちを言葉にしてみると、次のような感じ。

パソコン、欲しいかも。いや、別に必要ってわけではないな。
しかし今のを使ってて違和感もあるし…
いや、いらないかな。
ただ今ちょうど安いのが出たんだし見てみるぐらいなら…
とてももどかしい。
第三者が見たら「さっさと買ってしまうか、別のことでも考えなさい!」と喝を入れるでしょう。
私も流石にバカモノではないので、自分の気持ちを改めて整理しているとある概念を思い出しました。
これ、アラン(1993)の情念だ!!
余談ですが、私は自分の感じたこと・考えたことにピッタリな文献があると大暴れしてしまいます。
日記に文献を引用するのもこの悪癖のせいです。
許してください。
アランの情念
アランの『幸福論』(1993)にそのままこの状況が載っていて大変激アツです。
アランは「情念のほうが病気よりも耐えがたい」と言っています(p. 24)。
以下で簡単に引用しています。
情念に対しては、わたしたちはなすすべがない。
というのは、わたしが愛するにせよ、憎むにせよ、かならずしも対象がわたしの目の前にある必要はないからだ。
わたしはあたかも詩を作るときのような心の働きのよって、対象を想像し、変化させさえする。
すべてがわたしをそういうことへつれもどし、わたしのつくりあげる理屈が詭弁的であっても、わたしには正しいように思われる。
そして、自分は頭がいいなどとうぬぼれることがよくある。
アラン(1993, p. 24) 太字・改行は私によるものです。
これはそのまま私のことかもしれませんね。
もうあれこれとパソコンを買い替える理由づけが行われていました。
私の場合は結局買ってしまったわけですので、情念に負けたということでしょう。
これからは衝動が襲ってきて色々と自分に言い訳をするとき、「情念と格闘している」と言いましょうか。
近況
そういえば最近は下品なメシを食べていないですね。
健康なご飯を食べているわけではないのですが、特別下品なファストフードを食べているわけではないので許してもらいましょう。
そういえばこの前久しぶりにnoteを書きました。
内容はただただ脱noteしたというものです。
もともとこのサイトの日記で書いていたようなことをnote用に書き直したようなものですね。
↓日記
基本的に価値のない文を書きましたが、個人的にこのnoteの一番いいところは次の箇所です。


現在春休み中なので、他には特に何もないですね。
ほとんど使わないipadにvrchatをダウンロードしたくらいでしょう。そのうち試してみます。
あと、そのうちパソコンも届くので、届いたら日記に感想を書きます。
参考文献
アラン. (1993). 幸福論 (白井健三郎訳). 集英社. (原著出版 1925)





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