最近中学の数学の教科書をパラパラとめくっていたら面白いことに気づきました。
確率の単元にトランプカードの問題がないのです。
トランプ問題の消失
正確にいうと、トランプに関する知識を前提とする出題がなかったのです。(次のような問題)
ジョーカーを除く52枚のトランプの中から1枚をひくとき、そのカードの数が5の倍数である確率を求めなさい。
私がみたのは啓林館の数学の教科書(中学2年対象)だったので、他の出版社のものには含まれているかもしれませんが、私が中学生の頃は全然定番だったのでこれを教科書で見かけないのは不思議に感じます。
私は教育方法やカリキュラム・教材開発に携わる方々の本を読んだりその領域の文献を見たりしているので、彼らの書くこと・書かないことには全て意図があるようにしか感じられません。
しかも今回は義務教育段階の検定教科書、さらに言うと現行学習指導要領の実践などを踏まえて改訂された教科書なのです。
となると、教科書に書いていないと言うことは①教える必要はないか、②教えている余裕がないのどちらかなのでしょう。
ですが、どう考えても①はないでしょう。入試には十分出題されてもおかしくないし、参考書でも定番になっている問題です。
では、教えている余裕なんてないのでしょうか。
トランプ、ガチの無名であることが判明(オタクの教養化?)
私は数学教育のプロではないので教育課程などにまで踏み込みませんが、日常生活と関連した事柄から出発して教科内容に踏み込む現代的な教育スタンスはほとんどの教科でとられていると思います。
では、サイコロ問題を残しておいてわざわざトランプを排除したと言うことは、トランプが日常からかけ離れたものになってしまっているからなのでしょうか。
私には中学生と交流する機会がよくあるので、実際に複数名に聞いてきました。
Q1:トランプって触ったことある?
Q2:トランプの枚数とかって知ってる?
Q3:トランプについて学校の先生に教えてもらったりした?
これらの質問をしてみたところ、回答に対する肯定はQ1よりQ2、Q2よりQ3が多かったです。
こういったことを聞いてみた結果、自信を持ってQ2に「はい」と答えられる生徒は少なく、Q1の時点で肯定がなかった生徒もいました。
それに加えてQ3まで聞いてわかったのは、トランプについて明示的に指導している先生もいる一方で、特に言及しない先生もいると言うことです。
どうやら本当にトランプがオワコンになってしまっているようです。
インターネットで軽く調べてみても塾関係の方がこう言うことに言及しているとわかります。

子どもをうかつに「常識なし」といってはいけない
ただ、子どものことを常識なしと一蹴してトランプを教養としてしまいたいわけではありません。
変化の多いこの時代で、子どもの生活経験だけ変わらないなんてあり得ません。
それでも自然との触れ合いの中で得られる知識は確かに持っていたいですし、せっかくなら子どもたちにも持っていて欲しいものです。
これは斎藤喜博の著書に書かれたエピソードなのですが、一年担任の先生が保護者参観の際に次のように発表したといいます。
一年を担当してびっくりしたことは、子どもたちが少しも蝶やとんぼと遊んでいないことです。蝶の羽は何枚、とんぼの足は何本と聞いても知りません。
『この村にはいって』(NHK放送原稿 昭和29年8月26日)斎藤喜博全集3. p. 221
また、斎藤喜博全集の配本月報Ⅵ(1970)に収録された斎藤喜博と長谷川正(山形県教職員組合教育文化部長)のエピソードに次のようなものがあります。
「あなたがいるところには『うこぎ』があるはずだから手に入りそうならぜひいただきたい」というハガキを斎藤から受け取った長谷川は、そのうこぎと言うのがどんな木なのか知らないし周りの人に聞いても誰も知らなかったそうです。そうしていると、彼の妻の両親がその家を訪問したときに「ここにあるではないか」と長谷川の庭の隅を指して言ったとのことです。
長谷川はこの件について、自身が何も知らないと言うことを自覚したようです。
蝶やとんぼの件もうこぎの件も似たような話で、自分が住む世界との繋がりを確かにして欲しいというのが大人のメッセージなのでしょう。
ただ、トランプのような文化教養的側面を持つものに関しては、これにこだわって教え込む必要は全くないと思います。
トランプが確率の問題に採用されたのはきっとそのカードの仕組みや組み合わせが問題作成の上で都合が良かったからでしょう。
そこにトランプ文化の保全が目的として組み込まれていたとは私は考えません。
プラトンは『パイドロス』において、文字によって知識伝達を行うことを批判しています。彼曰く、文字は娯楽や記憶補助のためなら有用かもしれなくても、それによって哲学を書き起こしたり知識を伝達するものではないとのことです。
こんな大先人が文字批判をしているにも関わらず、今では文字がないなんて考えられませんよね。
自然教養と異なり、文化教養はその世代や時代が必要としているかしていないかによって価値が大きく左右されるということがここから読み取れると思います。
子どもたちがトランプを知らないということを過剰に憂うのではなく、彼らの世代の文化教養としてどのようなものが共有されているのかを気にしてみるところから始めてみようと思います。
参考文献
斎藤喜博. (1970). 心の窓をひらいて. 斎藤喜博全集 第3巻, 185–446.
長谷川正. (1970). 五加(うこぎ)と斎藤藤先生. 斎藤喜博全集 月報Ⅵ, 6-8.
益田裕充. (2014). なぜ大学生は4本足のニワトリを描くのか. 上毛新聞社.
Plato. (2008). Phaedrus (B. Jowett, Trans.). The Internet Classics Archive, Massachusetts Institute of Technology. (Original work published ca. 370 BCE) http://classics.mit.edu/Plato/phaedrus.html


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