「下品なメシ」概念とそこからの脱却

日記
この記事は約2分で読めます。

私は結構な頻度で外食をしています。

外食をしている理由は色々ありますが、一番は私があまり家にいる時間が長くないことです。

外で幸せにご飯をたくさん食べているのですが、振り返ってみるとどれもあまりご飯と認めたくはないものです。一応食事であっても、なんというか、下品な感じがしてしまいます。

私が日常的にしている食事に違和感を覚えていると、伝説的な教育者パウロ・フレイレを思い出しました。彼は当時以前からもはや常識となっていた伝統的な教育モデル(先生が生徒に知識を伝達するスタイル)が教師ー生徒間に立場格差を生んでいてこれが生徒を抑圧していたのだと考えたのです。

ここから学べることは、「当たり前だと思っていることが自分を抑圧しているかもしれない」ということです。私が外食ばかりするようになってからなんとなく気分がすぐれないのも、きっとこの習慣によって抑圧されていたからに違いありません。

抑圧されているのであれば、解放へと向かう必要があるでしょう。これについてもフレイレの考え方を参照できます。彼の場合は、文字の読めない人々に識字教育をすることで「世界を読む」力を身につけてもらい、現状を理解して批判的になれるようにしました。

私の場合は、自分の食事状況を正しく理解し、これを表すことのできる語で表現してこれを脱することができるようになるのが理想でしょう。

というわけで、私の普段していた外食を「下品なメシ」と呼ぶことにしました。

何をもって目の前の食事を下品なメシとするのか、なかなかに難しいところですが、私の場合は「安く食べられる食事で、栄養のあり豊富ではないもの」をそう呼ぼうと考えています。

下品なメシの例①
下品なメシの例②

画像のようなものはもはや100%ストレート下品メシだと言えますね。こう言ったものが私の生活を抑圧し、私の精神を蝕んでいたに違いありません。

私の問題が下品なメシから来ていたことを知ることができたので、あとはこれを断つことで幸せになれるでしょう。

私は今後こう言ったものを食べないように注意します。みなさんもぜひ上品なメシを食べて良い精神状態を目指しましょう。

参考文献

Freire, P. (1970). Pedagogia do oprimido. Paz E Terra.

この記事を引用される場合(APA式)

英語で引用する場合

Moromisa, G. (2026, February 24). Quit bad food: Toward an ethics of everyday eating. moromingo. https://moromingo.site/2026/02/quit-bad-food.html

日本語で引用する場合

諸見謝ジェンジス. (2026年2月24日). 下品なメシ」概念とそこからの脱却. moromingo. https://moromingo.site/2026/02/quit-bad-food.html

コメント

タイトルとURLをコピーしました